「クラフトマンシップ」
連載コラム『日本工芸の歩む道』後編「現代社会と工芸」 VOL.2
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近年、海外の蒐集家から熱い視線を注がれ、冒頭の狸だけではない、伝統的な無釉・焼締の信楽焼の魅力が再認識され始めている。信楽は、日本の歴史ある6つの陶磁器窯「六古窯」のうちのひとつであり、その起源は13世紀後半に遡る。古琵琶湖層(※)を形成する良質な陶土に恵まれ、六古窯の中でも最古といわれる常滑の影響を受けて、穴窯で壺や甕、鉢などが作られるようになったのがはじまり。近隣に京都や大阪といった大消費地が存在することも手伝い、今日に至るまで、さまざまな日用雑器を生産することで産地全体が興隆してきた歴史がある。
室町時代から桃山時代には、こうした生活の道具が、茶人たちによって「見立て」の美を見出された。例えば、穀物などの貯蔵に使われていた中型の壺《蹲》を花入に、苧麻(からむし)の糸を入れた桶《鬼桶》を水指に見立てる、といった具合である。この時代の信楽は「古信楽」と呼ばれ、これを愛好した室町末期の茶人、武野紹鴎がその好みを信楽に伝えて焼かせたものが「紹鴎信楽」としてよく知られている。
伝統的な信楽焼は、通常、薪窯で数日に渡る窯焚きを経て作られる。その最大の見どころは、白い長石の粒が混ざるざっくりとした土肌と、窯変による野趣あふれる景色にある。窯の中で降り掛かる灰が溶けた自然釉、炎を映し取ったような緋色、その苛烈さを物語るかのような石はぜや破れ、歪み。昭和を代表する写真家の土門拳は、『信楽大壺』のあとがきの中でこう評している。
「日本のやきものの中で、恐らく世界のやきものの中でも、信楽大壺ほど土と火との格闘をとどめているやきものはないであろう」
江戸時代以降、一度は施釉陶器の需要に押されたものの、昭和に入って古信楽は再び脚光を浴びた。1970年代には、古信楽の技法の再現に尽力した三代高橋楽斎と四代上田直方の影響のもと、伝統的な信楽焼の技法を受け継ぐ陶芸家が活躍するようになる。現在ではさらに次の世代、すなわち70年代以降に生まれた世代が、中堅若手作家として注目を集めるようになった。土の趣や炎の迫力を色濃く映し出す信楽焼特有の景色は、過去の茶人がそうだったように、長い時を経てもなお人の心を捉えて離さないでいる。
※約400万年前に現在の伊賀付近にあった琵琶湖の原型となる古代湖が、約40万年前に現在の位置まで北上したといわれる。それによって堆積した良質な粘土「古琵琶湖層」の上に、現在の信楽焼の産地がある。
参考:
・日本六古窯 公式ウェブサイト
https://sixancientkilns.jp/
・文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/
・土門拳『信楽大壺』(東京中日新聞出版局)
・三重県立美術館『古伊賀と桃山の陶芸展』