インタビュー:陶芸家・加藤亮太郎
VOICE VOL.7
展覧会情報やインタビューなど、工芸に関するさまざま情報を発信しています。
今泉毅の生み出す作品は美しい。青瓷と天目という、多くの陶芸家が挑んできた中国陶磁の王道に飛び込み、独学で極めてきた唯一無二の表現の裏には、美しいやきものをただひたむきに求める姿があった。
円熟期の入り口に立つ作家のこれまでの足跡を振り返りながら、作陶への思いを伺った。
インタビュアー / 堤 杏子
埼玉県を拠点に作陶を行なう陶芸家。大学在学中より作陶を始め、卒業後は岐阜県多治見市にて技術を学んだのち独立。天目や青瓷を中心とした作品の制作に励む。中国宋代の陶磁器をはじめとした名品に習いながら、釉薬の調合や焼成のテストを積み重ね、自らにしか成せない表現を追い求めている。
詳細プロフィールへ大学2年生くらいの時に、池袋のセゾン美術館で開催されていた『中国陶磁の至宝』展を見に行ったんです。そこに東洋陶磁美術館所蔵の《油滴天目》が展示されていました。ケースに入ってキラキラしていて、「すごいやきものがある!」と思って。それまでは楽や織部が好きで、中国陶を良いとは思っていなかったし、やりたいとも思っていませんでした。中国陶は、自分の中のやきものではなかったから。先輩がやっているやきもの、みたいに見えてしまっていたんです。そんなときに《油滴天目》を実際に目にして、やきものの中での、桃山陶とはまた別な方向にぐっと引っ張られたというか。だからこの《油滴天目》には、今でもたまに会いに行きます。会うと、「久しぶり」「まだ陶芸頑張ってます」みたいな気持ちになる(笑)。印象は今もあまり変わりません。いつ見ても、最初の時に見たままキラキラして見える。青瓷の《満月》という少し小ぶりな茶碗もあって、それも良かった。この展覧会で、青瓷も天目もぐっと自分のやきものの中に入ってきました。それで、釉薬の本で作り方を調べて「やってみよう」と。そんな感じで始めました。
土と釉、焼成による変容がやきものの最大の魅力であり美質だと思っています。形も、立ち姿が美しい、横から見ても美しいというのは大事。最近は力を抜くことを意識しています。ろくろでいちばん自然なのは、開いていく形なんですよ。開いていくところに一番伸びやかさがあると思う。だから鉢や茶碗ものびのびと、窮屈にならないように挽きたいと思っています。
2010年代前半あたりに柿傳ギャラリーや日本橋三越で個展をやり始めた頃は、いろいろと印象に残っています。作品に対しての感想や意見を一番言ってもらえる時期でしたね。まだ若くて下手だったから。それこそ最初の頃、東京国立博物館の名誉館員だった林屋晴三さんが来てくれていました。言葉少なに褒められるから、「これいいね」と言われると「どこがいいんだろう」って考えたり。買ってもらえた時は嬉しかったですよ。良いものだから買ってもらえたんだと思えるから。それでだんだん自信が付いてきた。でも一般の方にはまだ全然手に取ってもらえなかったなあ。たぶん、作品が全部理屈っぽかったんですよ。2009年に『日本陶芸展』で賞を獲った黒釉の作品だって、「綺麗は綺麗だけど、だから何?」という感じです、今の自分から見れば。「何かひとワザ、ひとテク盛り込もう」と思って作ってるような。若かったんでしょうね。でも、そういうのいらないよなと。そういうところが、林屋さんのような方たちから感想をいただきながら変わっていったのかな。“やりたいこと”と“やるべきこと”、それから“人に伝わること”が、だんだんと合ってきたんだと思います。徐々に天目の仕上がりが良くなってきて、2015年の柿傳ギャラリーでの3回目の個展ではお客さんの反応もとても良かった。2011年の初個展以降、少しずつお客さんが増えてきていたから期待はしてもらってたんですけど、やっぱり売れると嬉しいですよね。帰り道、喜びながら車運転してたな。
それまで、活躍している先輩たちから「今泉、あとはお前が売れるだけだぞ」って言われてて。「売れないっすよ~」って話してました(笑)。昔は賞を獲れば人気が出ると思ってたんです。でも実際はそうじゃない。賞を獲れば展覧会の機会はもらえますが、そこから先は自分の勝負で、実力の勝負。「売れる」って簡単に言うけど、人に手に取ってもらえて「良い」って伝わるものは、賞とは関係ないんだと、ものすごく感じました。