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INTRODUCTION

輝き続ける普遍の美に魅せられて。一瞬で惹き込まれる作品を生み出す、確かな力。

今泉毅の生み出す作品は美しい。青瓷と天目という、多くの陶芸家が挑んできた中国陶磁の王道に飛び込み、独学で極めてきた唯一無二の表現の裏には、美しいやきものをただひたむきに求める姿があった。

円熟期の入り口に立つ作家のこれまでの足跡を振り返りながら、作陶への思いを伺った。

インタビュアー / 堤 杏子

  • 今泉 毅さん 陶芸家

    埼玉県を拠点に作陶を行なう陶芸家。大学在学中より作陶を始め、卒業後は岐阜県多治見市にて技術を学んだのち独立。天目や青瓷を中心とした作品の制作に励む。中国宋代の陶磁器をはじめとした名品に習いながら、釉薬の調合や焼成のテストを積み重ね、自らにしか成せない表現を追い求めている。

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《翠青瓷盃》
繊細な貫入、花びらのような形、透き通る翡翠色が可憐な美しさを演出する

──どのような幼少期や学生時代を過ごされましたか?興味を持っていたことや、やきものとの出会いなどを教えてください。

絵を描くのが好きな子どもでした。絵を描いたり、漫画を描いたり。陶芸の経験はありませんでしたが、父が佐賀県出身なので、家で使っていた食器はシンプルな有田焼が多かったです。父から「これは良いものだぞ」って教えられたりしていました。父方の親戚に有田焼の絵付師の人もいたので、絵付けを体験させてもらったこともありました。描いたのは伝統模様などではなく、ビックリマンでしたけど。(笑)

高校生の頃はよく遅刻してたんですが、遅刻すると1限が終わるまで教室に入れてもらえないんですよ。そういう時は、校門を入ってすぐのところにある図書館へ行って、1限が終わる時間まで本を読んで過ごしていました。雑誌のコーナーに『別冊太陽』が揃えてあったので、それをよく読んでいたんですが、そこに茶陶も出てきて。長次郎の黒茶碗とか。それまで、やきものといえば有田焼というイメージがあったから、「なんだこの真っ黒いのは。かっこいいな」と。これが最初にやきものへ興味を持ったきっかけかな。

──大学では陶芸サークルに入られていますが、当時制作していた作品や、現在の制作の中心である青瓷や天目に取り組むようになった経緯を教えてください。

最初は黒楽への興味から入っているから、1年生のときは黒織部などを作っていました。そのときサークルのリーダーを務めていたのが、当時3年生の新里明士さん。新里さんは、今は白磁ですが、当時は青磁をやっていたんですよ。すごくストイックに取り組んでいました。サークルでは灯油窯を使用していたんですが、灯油窯で青磁に適した還元焼成を成功させるのはとても難しいんです。うまくいかないことも多い、厳しい作業だったと思います。だから青瓷に対する憧れは、作品そのものにもあるし、そういうストイックな姿勢にもありました。

《油滴天目 茶碗》
大阪市立東洋陶磁美術館(住友グループ寄贈/安宅コレクション)
写真:西川茂

大学2年生くらいの時に、池袋のセゾン美術館で開催されていた『中国陶磁の至宝』展を見に行ったんです。そこに東洋陶磁美術館所蔵の《油滴天目》が展示されていました。ケースに入ってキラキラしていて、「すごいやきものがある!」と思って。それまでは楽や織部が好きで、中国陶を良いとは思っていなかったし、やりたいとも思っていませんでした。中国陶は、自分の中のやきものではなかったから。先輩がやっているやきもの、みたいに見えてしまっていたんです。そんなときに《油滴天目》を実際に目にして、やきものの中での、桃山陶とはまた別な方向にぐっと引っ張られたというか。だからこの《油滴天目》には、今でもたまに会いに行きます。会うと、「久しぶり」「まだ陶芸頑張ってます」みたいな気持ちになる(笑)。印象は今もあまり変わりません。いつ見ても、最初の時に見たままキラキラして見える。青瓷の《満月》という少し小ぶりな茶碗もあって、それも良かった。この展覧会で、青瓷も天目もぐっと自分のやきものの中に入ってきました。それで、釉薬の本で作り方を調べて「やってみよう」と。そんな感じで始めました。

──陶芸の面白さや、作陶するうえで大切にしていることを教えてください。

土と釉、焼成による変容がやきものの最大の魅力であり美質だと思っています。形も、立ち姿が美しい、横から見ても美しいというのは大事。最近は力を抜くことを意識しています。ろくろでいちばん自然なのは、開いていく形なんですよ。開いていくところに一番伸びやかさがあると思う。だから鉢や茶碗ものびのびと、窮屈にならないように挽きたいと思っています。

《窯変天目》
宇宙を思わせる黒の世界

──展覧会を重ねていく中で印象に残っていることはありますか?

2014年に、福岡で新里さんと二人展をやったことがあるんですが、あの人の白磁の蛍手の作品は単純に綺麗。10人いたら10人とも、一目で綺麗だってわかる。だから一緒に二人展やってみて、“単純に綺麗”というのはすごく強いなと思ったんです。“味わいがある”とかじゃなくて。それなら黒で綺麗なものを作ろう、新里さんが白だったら俺は黒だ、と。黒で、新里明士に負けないような綺麗なもの。一瞬で綺麗だと思わせることができて、ずっと見ていても綺麗だと感じるもの。そういうものを、天目で実現したいと思いました。

──時代の変化とともに、陶芸において求められる作品や評価される作品、自身が追い求める作品像は変化してきましたか?

わかりやすかったのは、2017年に東京国立博物館でやっていた『茶の湯』展を見て個展に来るお客さんが多かったこと。『茶の湯』展って、天目に興味を持つ可能性のある人には、それがきちんと響く展示構成になっていたんです。そんなときに自分の天目の作品を手に取ってもらえるのは、理解しやすかった。ちょうどそれくらいから雑誌でも天目が特集されたりなんかして、天目の人気が高まってきました。だから運が良かったというか、タイミングが合ってたのかなと思います。流行ってるからとか、流行りそうだからとかで天目をやってたわけじゃない。大学生の時から独学でやってきた積み重ねがあるから、それなりに自分でストーリーを持って作れる。だから今もやれてるんだと思います。

盃。小さくも端正な姿

──お客様やギャラリストとの交流の中で、印象に残っていることはありますか?

2010年代前半あたりに柿傳ギャラリーや日本橋三越で個展をやり始めた頃は、いろいろと印象に残っています。作品に対しての感想や意見を一番言ってもらえる時期でしたね。まだ若くて下手だったから。それこそ最初の頃、東京国立博物館の名誉館員だった林屋晴三さんが来てくれていました。言葉少なに褒められるから、「これいいね」と言われると「どこがいいんだろう」って考えたり。買ってもらえた時は嬉しかったですよ。良いものだから買ってもらえたんだと思えるから。それでだんだん自信が付いてきた。でも一般の方にはまだ全然手に取ってもらえなかったなあ。たぶん、作品が全部理屈っぽかったんですよ。2009年に『日本陶芸展』で賞を獲った黒釉の作品だって、「綺麗は綺麗だけど、だから何?」という感じです、今の自分から見れば。「何かひとワザ、ひとテク盛り込もう」と思って作ってるような。若かったんでしょうね。でも、そういうのいらないよなと。そういうところが、林屋さんのような方たちから感想をいただきながら変わっていったのかな。“やりたいこと”と“やるべきこと”、それから“人に伝わること”が、だんだんと合ってきたんだと思います。徐々に天目の仕上がりが良くなってきて、2015年の柿傳ギャラリーでの3回目の個展ではお客さんの反応もとても良かった。2011年の初個展以降、少しずつお客さんが増えてきていたから期待はしてもらってたんですけど、やっぱり売れると嬉しいですよね。帰り道、喜びながら車運転してたな。

それまで、活躍している先輩たちから「今泉、あとはお前が売れるだけだぞ」って言われてて。「売れないっすよ~」って話してました(笑)。昔は賞を獲れば人気が出ると思ってたんです。でも実際はそうじゃない。賞を獲れば展覧会の機会はもらえますが、そこから先は自分の勝負で、実力の勝負。「売れる」って簡単に言うけど、人に手に取ってもらえて「良い」って伝わるものは、賞とは関係ないんだと、ものすごく感じました。

──工芸とは何だと思いますか?

“素材”と、それを十分生かすための“素直なこと”かな。無理なことはさせない。それぞれの素材に適した形や用途があって、そこを無理するとちぐはぐになってしまう。素直にやる方が正しいというか、理にかなう。漆にしてもガラスにしてもそう。一時期、陶芸がなんでも自分たちでやろうとしてた時代があったんですよ。変な陶芸がたくさんあった。陶芸なのに、無理してるような作品が。でも、それは違うんじゃないかなと。工芸は、まず素材。そして、素材に素直に作る。そういうことなのかなと思います。

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KOGEI STANDARD

編集部

KOGEI STANDARDの編集部。作り手、ギャラリスト、キュレーター、産地のコーディネーターなど、日本の現代工芸に関する幅広い情報網を持ち、日々、取材・編集・情報発信を行なっている。