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日本の美意識「渋い」

「渋い」とは、奥底から醸し出される魅力を表す、日本の伝統的な美意識の一つである。お茶やワインのように、味について表現する際に使われることが多いが、「色が渋い」「渋い顔をしている」などと、日常生活でも幅広く使われている言葉である。

「渋」という漢字は旧字では「澀」と書き、「水が流れにくい」という意味を持つ。渋みのある柿のことを「渋柿」と言うが、この渋みの原因となるのは、渋柿の中に含まれるタンニンである。正確には、タンニンを感じるのは味覚ではなく、舌への刺激による触覚的なものとされる。ワインやお茶も同様に、タンニンが多く含まれていると渋みを感じる。茶の湯の世界において、質素なものに美を求めたことから、次第に渋さというものが日本ならではの美意識として形成されていったのであろう。

渋みと苦みの違い

味については、渋みと似た表現で「苦み」があるが、渋みが触覚で感じるものであるのと異なり、苦みは味覚で感じるものである。苦いという表現は、否定的に捉えられることが多く、茶の表現においては、苦いというのは不快な味のことを表し、渋いと言う場合には味に趣があることを意味する。英語では、どちらも「bitter」という言葉を使うことが多いが、渋みは英語での直訳が難しく、そのまま「shibui」とされることもある。

現代の「渋い」

日常でも使われる「渋い」という言葉だが、一般的には、人や物が年月を経たときの奥深さに対して「渋い」という表現をする。幼い子供や新鮮なものに対してこの言葉を使うことはなく、奥から滲み出てくるような魅力があるものにこそ使われる。お金を出し惜しむことも「渋る」と言ったり、思ったとおりの結果が出ず、煮え切らない気持ちを「渋い」と表すこともある。これらはいずれも元の漢字である「澀」の意味である「水が流れにくい」という様子から派生した表現であろう。

工芸における「渋い」

昭和初期、民藝を広めた柳宗悦やバーナード・リーチらは、それぞれ「渋さ」の魅力を国内外に伝えている。食の世界以外でも、素朴ながら深みのある表現の美に対し、「渋い」という感想を与えたのだろう。海外では、侘び寂びと同義に捉えられることもあるが、渋いもの全てが侘び寂びであるということではない。渋いというのは奥から滲み出てくるような美であって、侘び寂びの特徴である不完全な美とは必ずしも結びつかないからだ。

工芸品の魅力の一つに、経年変化による美しさがあり、使い込むことで色や風合いが変化し、味わい深いものになることがある。これはまさに「渋い」という言葉で表現したくなるものだ。経年変化したことで、枯れた景色が浮かべば「侘び」と言えるが、じんわりと滲みでるような風合いがあれば、「渋い」という言葉が似合う。

これまで、この連載で述べてきたように、日本の美というのはさまざまな捉え方があり、多面的なものだ。侘び寂びは不完全なものに美を見出し、余白は空間や時間の中に意味を感じとる。そして、渋さは奥行きから美を感じ取るものだ。日本には多様な風土と四季があることで、人々は移り変わるさまざまなものから美を感じ取り、暮らしを楽しむことを考え続けてきた。都市化が進み、暮らしが均質化した中でも、こうした美の多様な捉え方は日常に根づいており、工芸を通じてそれらを学んでみることをおすすめしたい。

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柴田 裕介

編集長

(株)HULSの代表兼工芸メディア「KOGEI STANDARD」の編集長。東京とシンガポールを拠点に活動を行う。日本工芸の国際展開を専門とし、クリエイティブ・ビジネス面の双方における企画・プロデュースを行っている。