「クラフトマンシップ」
連載コラム『日本工芸の歩む道』後編「現代社会と工芸」 VOL.2
展覧会情報やインタビューなど、工芸に関するさまざま情報を発信しています。
明治時代末期、一人の陶芸家が工芸学校の指導者として有田の地に招聘された。その陶芸家こそ、李荘窯の現社長の寺内信二さんの曽祖父であり創業者の寺内信一さんである。窯名は、有田焼の陶祖とされる李参平の住居跡に創業したことに由来する。有田は日本屈指の陶芸の地として知られ、李荘窯が工房を構える通りも、かつては「徳利通り」と呼ばれ、徳利や盃、箸置きなどを手がける磁器工房が集まっていた。高度経済成長期以降の大量生産大量消費の時代やバブル期を経て、寺内信二さんは「美しいものは永遠」という想いのもと、時代に左右されない美しい形を追求し、自らもデザインを考案しながら器の制作に取り組んでいる。
寺内信二さんは、一度は有田の磁器から離れ、陶器へ傾倒した時期もあったが、有田焼の原点である初期伊万里の皿との出会いにより、改めて有田の伝統を見つめ直したそうだ。その後、李荘窯の「染付」を徹底的に見直し、ろくろの挽き方から釉薬の表現まで全て一から磨き、自身の技法を習得。「感動を与えるモノは作れているだろうか。」と自分自身に問い続けながら、日々創作に励んでいる。
李荘窯は、呉須と呼ばれる藍色の顔料で絵付けした「染付」にこだわった製品を数多く制作している。一点一点熟練の職人によって手作業で施される絵付けは、古伊万里などの伝統的な絵柄を継承している。一方で、普段使いのための「鎬(Shinogi)」シリーズでは、削って模様を作る伝統的な鎬手の技法に、現代の最新デジタル技術を組み合わせることで、使う人の手になじむ機能的な器を実現している。創業時から続く少数精鋭の体制を大切にしながらも、有田の伝統である染付から、モダンで革新的なデザインの磁器まで、幅広い器の製造を手掛ける。その高いデザイン性と確かな技が認められ、近年では世界的なレストランやシェフたちとのコラボレーションを行うなど、食のための磁器とは何かを常に考え、新たな高みに挑み続けている。